先日、温泉の食堂で食べたジンギスカンがびっくりするほどうまかった。
今日は同じ食堂にある「鹿肉ジンギスカン」を注文してみた。
ジンギスカンがあれだけうまかったのだから、鹿肉ジンギスカンも同じぐらいうまいだろうと、期待度Maxなのであった。
鹿肉ジンギスカンは、羊肉ジンギスカンにはついてなかったソーセージまでついてくる。
これは期待度大ではないか。
今回は野菜を鍋のふちに入れて、正しい焼き方で焼きます。
あー、うまそうだ。
いただきます。
ごちそうさまでした。
多分、期待度が高すぎたのだろう。
恐らく、「鹿肉ジンギスカン」→「羊肉ジンギスカン」の順番に食べればよかったのだろうが、なまじ先週の羊肉ジンギスカンで期待度がめちゃくちゃ高まっていただけに、鹿肉ジンギスカンには申し訳ないことをしたと思う。
よく、美味しかった店に通い続けるうちに「味が落ちた」という感想を持つ人がいるが、きっとこれも味自体は変わってないけど、食べる前の期待値が初めて食べるときに比べて高まっているだけに、客観的な味の評価ができていないのではないかと思う。
私の尊敬する旅エッセイイスト宮田珠己氏の言葉を借りると、「グルメはうまいもんばっかり探し回っているから、舌のほうで混乱してわけがわからなくなっているのだろう。漢字をじっと見ていると本当にそんな字だったかよくわからなくなるのと同じである」
食い物を食べるときは、まっさらな心で、「これうまいのかなあ?」と半信半疑の気持ちで食うことが肝要である。
変にグルメ雑誌などで高い期待値を持ってしまうから、「思ったほどうまくなかった」という悲劇が生まれるのである。
そう考えると、多分まずいだろうと思った「スープカレーワンタンそば」も、意外と食えるものであったと評価が上がるのだから、世の中分からない。
新入社員を迎えるときも、「こいつはこのくらいはできるだろう」と期待することなく、「まあ、ダメな奴だろう。もし使えたらめっけもんだ」ぐらいに思った方が、「お、コイツ思ったより使えるやんけ!」と円滑な人間関係を結ぶことができるような気がするのである。
そんでもって、恋愛にも「期待値を高く持つな」法則は有効なのではないのかなあ。
さようなら。